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言葉のキャッチボール

2009年09月26日 22:34

私は対話をするとき、相手と言葉のキャッチボールをしたいと願う。でも残念なことに、相手の話をロクに聞かず、延々と自分の話をしたがる人が、案外多い。そういう相手と二人きりでいるのは苦痛だ。そんなに自分だけ一人でしゃべりたいんなら、穴でも掘って、穴に向かって勝手にしゃべっててくれ、私を巻き込むな、と思う。

でも、えてしてそういう類の人たちは、自分の話を黙って聞いてくれる他人を必要としている。その自己中心的な精神構造は、おそらく3歳くらいから発達が止まってしまっているのではないか。実際にそれくらいの年齢のときに、自分の話をちゃんと聞いて受け止めてくれる大人が周りにいなかったため、いまだに周囲の人間に「無条件で自分を受け入れてくれる愛情」を求めているのかも知れない。

「誰だって、そういうタイプの人は苦手だよ」と思われるかもしれない。でも、そう思う人よりも、私の苦手アレルギーはたぶんいっそう強い。それは、自分の父親がそういうタイプの人間であるからだ。

子どもの頃、自分の話したいことだけ一方的にしゃべり、子どもの話は聞こうとしない父親の態度に、「自分への関心のなさ=愛情の欠如」を感じていたような気がする。さらに、「一方的に人の話を聞かされ続けるのが苦痛なのは当たり前」という知識もなかったため、父親の長話を苦痛に感じる自分を「悪い子」だと感じて、心の中は苦痛と自罰の念で葛藤していた。

大人になってようやく、「苦痛なのは当たり前」と、自分の自然な感情を許せるようになってから、父親の話を、飽きてきたら適当に聞き流せるようになってきた。「話を聞くのにも集中力がいるんだから、長々と話し続けられると疲れる」と、面と向かって言えるようにもなった。ただし、敵は懲りた様子もなく、あいかわらず話が長い。きっと死ぬまでそんな調子なんだろう。でも大人になった自分は、父親が、愛情表現は不器用ながらも、自分を大切に思ってくれていることに気づくことができた。

今日、友人と会い、お茶しながら話をした。彼女は社交的で受け答えも洗練されていて、当然、言葉のキャッチボールもできる人だ。ほんの3時間足らずの間に、仕事の苦労話からたわいない世間話、冗談まで、とても話が弾んだ。なんだか元気になって、家へ帰ってからも家族との会話まで弾む。楽しい対話の時間が持てると、心が活性化される。こんな素敵な友人がいてくれることに心から感謝したい。


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